庄内地区まちづくり協議会「お知らせ・ニュース」
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【ニュース】 水仙や山桜が満開に 2020.3.16 |
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庄内地区まちづくり協議会では庄内街区公園(城山公園)の維持管理業務を都城市の委託を受けて行っています。2年前に水仙などを植栽しましたが、現在満開となっています。山桜や藪ツバキなども咲き誇っています。 春の香りを楽しみに出かけてみませんか。 |
【ニュース】 稚児桜公園に桜を植えました 2020.2.12 |
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稚児桜公園の初代の桜は昭和48年に枯れ、その後植えられた桜も枯れてしまい、長い間囲いだけが残っておりました。このたび囲いの中に1本、北側に2本の桜を植えました。囲いの中の桜は紅豊(べにゆたか)という品種だそうです。 稚児ざくらの由来 慶長四年(一五九九年)、一時都城領主であった伊集院忠真と鹿児島宗家島津忠恒との間に内紛「庄内の乱」が起こり、寄せ手の島津軍とこれを迎え撃つ伊集院軍とがこの辺りで大激戦をくり広げました。この戦いで、島津軍の弱冠十六歳の若武者富山次十郎は奮戦むなしく敵刃に倒れ、その亡きがらは敵味方から惜しまれながらこの地に葬られました。 当時、この美少年の供養のために植えられたという桜の木は、その後数百年爛漫と咲き匂い、誰言うともなく稚児ざくらとして往時を偲ばせておりました。 しかし、昭和四十八年老衰のため枯死し、さらに平成になり火災に遭ったため、その跡地に都城市や庄内の昔を語る会の協力により、あとつぎの桜が植えられました。ところが、残念なことにこの桜も最近枯れてしまい、今では囲いだけがむなしく残っています。 稚児桜公園への案内図はここをクリック |
【ニュース】 庄内地区一斉野焼きを行いました 2020.2.2 |
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害虫駆除を目的として、庄内川堤防の一斉野焼きを行いました。午後1時から、各地区決められた区域の堤防の火入れを開始しましたが、天候が良く良く燃えました。1月26日に予定しておりましたが雨天のため本日に延期実施しました。従事した皆様ご苦労様でした。 |
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