庄内地区まちづくり協議会「お知らせ・ニュース」
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【その他 】 昭和20年8月6日庄内も米軍の空襲を受けました |
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広島では米軍による原爆投下から76年の「原爆の日」を迎え、広島市中区の平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれました。8時15分の黙祷に合わせ庄内地区公民館のサイレンも60秒間吹鳴されました。 広島に原爆が落とされた同じ日、都城市や庄内も米軍の空襲を受けました。都城市では52名が犠牲になり、庄内でも1名の軍人が亡くなっています。 庄内小学校にある「お軍神」に「庄内空襲之碑」が平成7年に建立されています。 碑文 太平洋戦争終結直前の昭和二十年( 一九四五年)八月六日は、庄内が空襲を受けた日である。その日の正午前に米軍艦載機による機銃掃射や焼夷弾攻撃を受けた。この攻撃は、日本軍や兵舎や糧秣倉庫となっていた庄内小学校が目標になったもので、町民が誇りにしていた大講堂や二階建校舎など四棟が焼失し、さらに西区・町区の民家も被弾や延焼により七十二戸が戦災にあった。また、機銃弾で軍人一人が戦死し地区住民に重軽傷者各一名が出るなど恐怖の一日となった。町民は、食糧難や物資欠乏の中にありながら直ちに仮小屋やバラック校舎の建設に取り組み被災者の救援に尽力し復興に努めた。被爆から五十年、私たちは二度とこのような戦争を繰り返さないよう、そして平和なふるさとが永遠に続くことを心から祈念し、庄内小学校同窓会有志を中心としたみんなの協力でこの碑を建立する。 平成七年八月六日 ( 裏面) 庄内空襲之碑は、過去の戦争のできごとを語り継いで平和教育に資するため、庄内尋常高等小学 校を卒業した大正十二年生まれから昭和十年生まれの人達が中心になって建立委員会を結成し、それぞれの同窓会の有志に呼び掛け、また先輩・後輩をはじめ各位のご協力も得て建立したものである。 庄内空襲の記録(PDF)64頁を読むことができます。 ここをクリックしてください |
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