・ |
幕末から近代にかけて日本の発展に寄与してきた産業遺産についても文化財保護の対象にすべきという議論が昭和60年代後半から起こってきた。各県毎に調査中であるが、まだ半分ぐらいしか終わっていない。 |
・ |
明治開国の時期には多数の留学生が各国に派遣されたが彼らは帰国後「治山治水」「殖産興業」を目的とし全国各地で多くの建造物を残した。 |
・ |
これらの建造物の中には現在もその機能を果たしているものもある。従来は文化財に指定されると現状変更はできなかったが、最近は価値を形成する主要な部分が残っていれば機能を更新しても良いという考え方になっている。
|
・ |
有形文化財のうち指定型(重要文化財)と登録型(登録有形文化財)があり、両方の事例をいろいろと紹介して頂きました。先生は休みの日はなるべく市内を回って歴史的建造物を見て回られているそうです。
目に付いた建造物として
・霧島ファクトリーガーデン「霧島創業記念館 吉助」
・西町のヤマエ食品建物群
・北原町の島津茶園社屋
・高木用水路
などを挙げられました。
また「都城にはまだまだ価値あるものがあると思う。自分もこの地に来た以上は歴史を掘り起こし、評価し、地域の振興につながるよう考えたい」とおっしゃっていました。
これには都城観光協会長でもある堀之内さんは大いに意を強くされたようで、前田町の石造倉庫や中郷地区の棚田の活用法について質問していました。 |